「ママの味」は、私がいなくなっても残る
入退院を繰り返す叔父を見て、改めて「食べること」を考えた
久しぶりにブログを書きます。
ここ1年程、叔父が入退院を繰り返しています。
久々に会った叔父は、ずいぶん痩せていました。
検査のために採血をする腕も細くなっていて、
血管も細く、ところどころ青あざのようになっていて。
その腕を見ていると、なんだか胸が苦しくなりました。
病気のことだけではなく、
叔父の姿を見ながら、
「人生って、なんなんだろう」
そんなことまで考えてしまいます。
そして、自分の最後のことも、嫌でも考えさせられる。
正直、少し苦しくなります。
入院すると、食べたいものを好きなときに食べることもできない。
行きたいところへ自由に行くこともできない。
当たり前だと思っていたことが、
実は当たり前じゃなかったんだなと思います。
叔父は今、何が一番食べたいんだろう。
そんなことを考えていました。
そして、ふと自分の子どもたちのことも考えました。
私が作ってきた料理の中で、
子どもたちは何を「ママの味」として覚えているんだろう。
私は今まで、何を作ってきたんだろう。
主人は、私がいなくなったら何を食べたいと思うんだろう。
そんな話を、いつかしてみたいなと思いました。
私はありがたいことに、料理を仕事にさせてもらっています。
韓国料理を作って、レシピにして、
それを誰かに伝えることができている。
それって、考えてみたらすごくありがたいことなんですよね。
私の味を、レシピという形で残せる。
もし私がこの世を去っても、
「ママが作ってたあれ、食べたいな」
と思ったときに、レシピを見ながら作ることができる。
「この通りに作ったら、またママの味になるからね」
そう思うと、少しだけ心が軽くなりました。
子どもたちに、何か残せたような気がしたから。
料理って、ただお腹を満たすものじゃないのかもしれません。
誰かを思って作ったごはんは、
その人の記憶の中に残っていく。
韓国料理を20年近く作ってきて、
今になって、そのことを改めて感じています。
叔父の姿を見ていると、
「食べられること」
「自分で好きなものを選べること」
「家族と一緒に食卓を囲めること」
その一つ一つが、とても尊いことに思えます。
だから、今できることはしておこうと思う。
会えるときには会う。
話せるときには話す。
食べられるときには、
美味しいものを一緒に食べる。
そんなことを考えながら過ごす、秋の夜長です。
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